テレビで見ない日はないほど大活躍のデヴィ夫人ですが、実は国籍が日本ではないこと、ご存知でしたか?
「もしかしてハーフなの?」と気になっている方も多いですよね。
結論から言うと、デヴィ夫人はハーフではなく純粋な日本人で、現在の国籍はインドネシアです。
法務省が定める国籍法に基づく帰化申請を現在行っているという驚きの事実も判明しました。
この記事では、デヴィ夫人の知られざる両親の正体や、貧しかった若い頃の壮絶な家系図について徹底的に深掘りしていきます!
- デヴィ夫人はハーフではなく純粋な日本人であること
- 現在の国籍はインドネシアで日本への帰化を申請中であること
- 両親は貧しい大工の家庭で壮絶な若い頃を過ごしたこと
- スカルノ大統領との結婚と愛娘カリナさんの現在の姿
デヴィ夫人の国籍はインドネシア!ハーフの噂は本当?

テレビ番組での華麗な振る舞いや、日本人離れしたエキゾチックな顔立ちから、「デヴィ夫人は絶対にハーフだ!」と思い込んでいる人は本当に多いですよね。
現在の国籍はインドネシアですが、外務省が管轄する海外在留邦人の国籍選択制度などの複雑な事情を経て、激動の人生を歩んできました。
まずは、皆さんが一番気になっている「国籍とハーフ説」の真実に迫りましょう!
| 項目 | 詳細 |
|---|---|
| 本名 | 根本 七保子(ねもと なおこ) |
| 国籍 | インドネシア(現在日本へ帰化申請中) |
| ハーフ説 | 完全なデマ(両親は日本人) |
| 語学力 | インドネシア語・仏語・英語に堪能 |

実は純粋な日本人!本名「根本七保子」と両親のルーツ
デヴィ夫人というゴージャスな名前からは想像がつかないかもしれませんが、本名は「根本 七保子(ねもと なおこ)」さんという、非常に古風で美しい日本名をお持ちです。
1940年(昭和15年)2月6日、当時の東京府東京市麻布区霞町、現在の東京都港区西麻布という大都会のど真ん中で生まれました。
ご両親ももちろん日本人で、父親の兵七郎さんは麻布界隈で腕を振るう「大工の棟梁」でした。
母親の政子さんは福島県の双葉郡浪江町のご出身ということで、ご両親のルーツを見ても生粋の日本人であることがわかりますね。
太平洋戦争中は、戦火を逃れるために母親と弟の3人で、母親の故郷である福島県浪江町に疎開していたという記録も残っています。
「デヴィ・スカルノ」という名前は、後になってインドネシアの国父であるスカルノ大統領と結婚した際に授かった名前なのです。
なぜハーフ説が出た?エキゾチックな美貌と語学力の秘密
では、なぜこれほどまでに「ハーフ説」が世間でまことしやかに囁かれ続けているのでしょうか。
一番の理由は、やはりあの日本人離れした圧倒的な美貌と、深い彫りのあるエキゾチックな顔立ちにあります。
若い頃の白黒写真を見るとわかりますが、まるでハリウッド女優のようなオーラと美しさがあり、当時の日本人の平均的な容姿からは飛び抜けていました。
さらにハーフ説を加速させたのが、デヴィ夫人の圧倒的な語学力と国際感覚です。
日本語だけでなく、インドネシア語(マレー語)、フランス語、英語を流暢に操るマルチリンガルなんです。
世界中のセレブや王侯貴族と対等に渡り歩くその姿を見れば、「もともと外国の血が入っているに違いない」と世間が勘違いしてしまうのも無理はありませんよね。
現在の国籍と日本への帰化申請の真相(2025年〜)
デヴィ夫人はスカルノ大統領と結婚した際にインドネシア国籍を取得しており、長らく日本の国籍は持っていませんでした。
しかし、近年になって大きな動きがありました。
2025年2月、動物愛護を掲げる政治団体「12(ワンニャン)平和党」を設立し、夏の参院選への出馬を目指したのです。
日本の国政選挙に出馬するためには日本国籍が必要不可欠なため、このタイミングでインドネシア国籍から日本への帰化申請を行っていることを公表しました。
結果的に、選挙対策委員長の急逝やご自身のトラブルなどが重なり、同年4月には党を解散して出馬は断念することになりました。
それでも、晩年を迎えて自身の生まれ故郷である日本への帰化を決意したという事実は、多くの人の関心を集めました。
デヴィ夫人の家系図と両親の職業!貧しかった若い頃の過去


華やかなドレスに身を包み、高級ジュエリーを身につけている現在の姿からは、デヴィ夫人が「大富豪の令嬢」として育ったと思っている人も多いはずです。
しかし、実際の家系図や生い立ちを紐解くと、信じられないほど壮絶で貧しい過去が浮かび上がってきます。
厚生労働省が発表している国民生活基礎調査などの歴史的データを見ても、戦中・戦後の日本がいかに過酷だったかがわかりますが、デヴィ夫人の家庭も例外ではありませんでした。
彼女がいかにして底辺から這い上がり、世界の社交界のトップへと登り詰めたのか、その裏側に迫ります。



父親は麻布の「大工の棟梁」!裕福ではなかった家庭環境
先ほども少し触れましたが、デヴィ夫人の父親である根本兵七郎さんは、麻布界隈の「大工の棟梁」でした。
「港区西麻布生まれ」と聞くと大金持ちのように聞こえますが、当時の麻布は職人さんが多く住む下町のような側面もありました。
デヴィ夫人ご自身も「家庭は裕福ではなかった」と語っており、決して恵まれた環境で育ったわけではありません。
さらに、太平洋戦争の戦火が激しくなると、父親を東京に残し、母親と弟の八曾男(やそお)さんと共に福島県へ疎開するという過酷な幼少期を過ごしています。
戦後、東京に戻ってきても生活は苦しく、家族を養うために中学生の頃から必死に働くことを決意したそうです。
補足データ
1955年、わずか15歳の時に新東宝制作の映画『青ヶ島の子供たち 女教師の記録』にエキストラ出演するなど、家計を助けるためにあらゆる仕事に挑戦していました。
千代田生命でのアルバイト掛け持ち時代と高級クラブへ
地元の高陵中学校を卒業したデヴィ夫人は、東京都立三田高等学校の定時制に進学します。
同時に、なんと150倍という超難関を突破して千代田生命保険(現在のジブラルタ生命保険)に入社しました。
しかし、それだけでは貧しい家計を支えることができず、昼休みや休日にも喫茶店などでアルバイトを掛け持ちする、まさに休む間もない過酷な日々を送っていました。
そして1956年、デヴィ夫人の人生を大きく変える悲劇が起こります。一家の大黒柱であった父親の兵七郎さんが亡くなってしまったのです。
家計を完全に背負うことになった彼女は、高校を中退し、赤坂にあった超有名な高級クラブ「コパカバーナ」で働き始めます。
この「コパカバーナ」での下積み経験と持ち前の美貌が、後の大統領夫人への道を切り開くきっかけとなりました。
弟・八曾男さんの悲しい死因。詐欺とガス自殺の壮絶な裏側
デヴィ夫人の過去を語る上で、絶対に避けて通れないのが実の弟である八曾男(やそお)さんの悲劇的な死です。
デヴィ夫人がインドネシアへ渡り、スカルノ大統領の夫人として正式に結婚した1962年、日本のマスコミが彼女の生い立ちを面白おかしく嗅ぎ回り始めました。
執拗なマスコミの取材攻勢により体調を崩していた最愛の母親が、なんと亡くなってしまったのです。
さらに悲劇は続きます。母親が亡くなったわずか2日後、残された弟の八曾男さんは、悪質なセールスマンに全財産を騙し取られてしまいました。
絶望の淵に立たされた弟さんは、母親の死に目に逢えなかったデヴィ夫人を想いながら、自宅アパートでガス自殺を図り、帰らぬ人となってしまったのです。
「何時までも心を離れない悲しいトラウマになっている」とデヴィ夫人自身が告白するほど、この出来事は彼女の心に深い傷を残しました。
後にスハルト大統領から贈られた広大な邸宅に、弟の名前をとって「Wisma Yasoo(八曾男の家)」と名付けたことからも、弟への深い愛情と後悔が痛いほど伝わってきますね。
スカルノ大統領との結婚と娘カリナさんの現在!


貧しい大工の娘から高級クラブのホステスへ、そして一国のトップの妻へ。
デヴィ夫人の人生は、事実は小説よりも奇なりを地で行く、まさに世界規模のシンデレラストーリーです。
しかし、その結婚生活も決して安泰なものではなく、血で血を洗うような政治闘争やクーデターに巻き込まれる過酷なものでした。
世界情勢を揺るがした9月30日事件などの歴史的背景とともに、彼女がいかにして生き延び、一人娘のカリナさんを育て上げたのかを見ていきましょう。



インドネシアの国父・スカルノ大統領との出会いと第3夫人へ
1959年(昭和34年)、19歳だったデヴィ夫人は、東日貿易の秘書という名目でインドネシアへ渡りました。
当時は東西冷戦の真っ只中。日本政府や企業がインドネシアへの開発援助を進める中、建国の父であるスカルノ大統領のもとへ送り込まれたのです。
大統領は若く美しく、そして知性あふれるデヴィ夫人に一瞬で心を奪われました。
インドネシアに渡って数年間は大統領の愛人の一人でしたが、1962年に正式に結婚し、4人いる夫人のうちの「第3夫人」となりました。
一国のトップの寵愛を一身に受け、華やかな外交の舞台で「社交界の華」として世界中のVIPと交流を深めていくことになります。
娘カリナさんはオランダで大手金融機関CEOと結婚!
1967年3月11日、激動の情勢の中、デヴィ夫人は都内の病院で一人娘の「カリナ」さんを出産しました。
正式な名前は「Kartika Sari Dewi Soekarno(カルティカ・サリ・デヴィ・スカルノ)」といい、スカルノ大統領にとっては8番目の子供にあたります。
デヴィ夫人が手塩にかけて育て上げたカリナさんは、現在、国際的な舞台で大活躍しています。
2005年11月、オランダで米系大手金融機関シティバンクの欧州・中近東・アフリカ地区CEOを務めるフレデリック・シーガス氏と結婚し、豪華な挙式が日本でも大きなニュースになりました。
現在は「Kartika Soekarno Foundation(カルティカ・スカルノ財団)」を通じて、インドネシアの子供たちの教育や医療を支援する慈善活動に力を注いでおり、母親譲りの行動力と美貌を受け継いでいます。
大統領失脚とフランスへの亡命劇。知られざるセレブの裏側
カリナさんが生まれる少し前、インドネシアでは恐ろしい事件が起きていました。
1965年に起きた軍事クーデター、いわゆる「9月30日事件」によって、スカルノ大統領は実権を奪われ失脚してしまったのです。
大統領は軟禁状態に置かれ、命の危険を感じたデヴィ夫人は日本大使館に亡命を求めますが、国際的な立場の問題から断念せざるを得ませんでした。
第2夫人を除く他の夫人たちが大統領を見捨てて逃げ出す中、デヴィ夫人は政治的亡命者に寛容なフランス・パリへと亡命することを決意します。
その後、1970年にスカルノ大統領が亡くなると、遺産分与のトラブルなどに巻き込まれながらも、パリの社交界で「東洋の真珠」と称賛され、自らの力で生きていくことになります。
華やかなテレビの笑顔の裏には、国を追われ、最愛の夫を失い、異国の地で一人娘を守り抜いた、強靭な母としての顔が隠されているのです。
よくある質問:デヴィ夫人の疑問をスッキリ解決!


Q. デヴィ夫人は何ヶ国語話せるの?
A. 日本語のほかに、インドネシア語(マレー語)、フランス語、英語の合計4ヶ国語に堪能です。フランスへの亡命時代や社交界での活動を通じて、世界トップクラスのVIPと直接コミュニケーションを取るために高度な語学力を身につけました。
Q. デヴィ夫人の両親の写真は公開されている?
A. デヴィ夫人の公式ブログやSNS、または過去に出版された自伝などで、若き日のご両親の白黒写真が公開されることがあります。美男美女であったことが伺える貴重な写真で、夫人の美貌が両親譲りであることがよくわかりますよ。
Q. スカルノ大統領はどこの国の人ですか?
A. インドネシア共和国の初代大統領です。オランダの植民地支配から独立を勝ち取った英雄として、現在でもインドネシア国民から絶大な尊敬を集めています。
Q. インドネシアの国父は誰ですか?
A. まさに、デヴィ夫人の亡き夫であるスカルノ初代大統領のことを指します。独立宣言を読み上げ、国の礎を築いたことから「建国の父(国父)」と呼ばれています。
Q. デヴィ夫人の若い頃はどんな仕事をしていたの?
A. 家計を助けるために15歳で映画のエキストラを経験し、高校時代は生命保険会社の社員と喫茶店のアルバイトを掛け持ちしていました。父親の死後は高校を中退し、赤坂の高級クラブ「コパカバーナ」で働いていました。
まとめ:激動の人生を歩むデヴィ夫人をこれからも応援したい!


いかがでしたでしょうか?デヴィ夫人の国籍やハーフ説の真相から、両親の職業、弟さんの悲しい死因まで、家系図と生い立ちを徹底的に解説してきました。
誰もが羨むセレブな生活の裏には、貧困、家族の死、軍事クーデター、そして亡命という、想像を絶する苦労と悲しみがあったのですね。
御年86歳(2026年現在)を超えてもなお、一切の妥協を許さず、美しい歯と姿勢を保ち、テレビの第一線で私たちを笑顔にしてくれるデヴィ夫人。
近年は政治的な活動やトラブルで世間を騒がせることもありますが、自分の信念を貫き通すその強大なエネルギーには、尊敬の念を抱かずにはいられません。
これからも、日本と世界に活力を与え続けるデヴィ夫人を、明るく前向きに応援していきたいですね!
